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後には引けない [執筆]

先月末に行った鼎談(ていだん)が、現在発売中の
週刊ダイヤモンド10月12日号に掲載された。

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経済小説を読みつくしている東京経済大学の堺憲一先生と、
人材コンサルタントとしてカリスマ的人気の渋井真帆さん、
そして私の3人が、経済小説の魅力について話し合った。

私は第一回城山三郎経済小説大賞を戴き、
渋井さんは第四回の受賞者となった。

私はマスコミにはあまり露出しないタイプ……というか、
そんなにお呼びが掛からない地味~な小説家なのだが、
城山賞を創設したダイヤモンド社の計らいで、
「女性経済作家を二人創出」したこともあって、鼎談が実現した。

奇しくも、山崎豊子さんが亡くなったタイミングで記事になった。
社会を描く、女性作家という面で、特別な思いがある。
経済、ビジネスは男の世界と思われがちだが、
女性たちだって、仕事をし、社会に貢献している。
その観察眼は、組織の出世戦争に巻き込まれにくい分、
きめ細かい冷静さがあるような気がする。

記事には、次作に関する情報も載せてもらった。

タイトルは「アフリカッ」。
中央公論新社から12月発売予定と……。

もう後には引けません。

がんばります(^^)
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山崎豊子先生…… [読書]

テレビを見ていたら、山崎豊子先生が88歳で亡くなったというニュースが流された。
何だか、一瞬、呆然となった。
いつか、必ず会いに行きたいと思っていたのだ。
会ってもらえるような、一人前の経済小説家になりたいと思っていた。

女性で、経済と人間を描く……。
勝手な親近感だとは思うが、経済小説を書く私にとっては、
誰よりも目指したい大先輩だった。
いや、かなり無理だが……。

ちょうど、5日前の9月25日、週刊ダイヤモンド社の鼎談(ていだん)で、
おススメの経済小説を5点挙げてくださいと言われ、
私はその中に山崎豊子先生の「不毛地帯」を入れた。
目標と言うには余りにも高すぎるが、こういう小説を書ける女性を崇拝していた。

お亡くなりになったなんて、何だか喪失感がある。

難しいのに、読み止まらない経済小説。
彼女の残した小説を、もう一度読み返してみたい。
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バランス感覚 [日記]

個人事業主というのは、自由でいい。
私は開発コンサルタントの仕事は受注ベースだし、
小説も、書きたいときに書いている。

でも、自由な分だけ、自分で自分を律し、うまくバランスを保たないと、
誰も指示してくれないし命令もないから、超甘あま状態に陥ることがある。
心の中には常に焦りがあるのだが、
根性を入れて仕事をするための「エイヤーッ!」という気合が入らないと、
なかなか仕事に向き合う気になれない。

5月からずっと日本にいる。
半年近く、出張もなく、海外渡航をしないというのは、
ここ15年ありえない生活だった。
長く開いても、せいぜいが2ヵ月から3ヵ月。
3ヵ月以上日本にいると、今度は海外に出るのが億劫になって、
「行きたくない病」にさいなまれることがあった。

はてさて、今回は半年開発コンサルタントの仕事を休んだ。
小説の執筆のためだった。
何とか脱稿して、そろそろ本業に戻らなくてはいけない。
気持ちにプレッシャーをかけるのだが……ふう。

二足のわらじ……。
開発コンサルタントは、結構な重労働だし、シビアだし、中途半端な気持ちでは取り組めない仕事だ。
小説家も、甘くはない。
ともに、脳を使う仕事で、自分自身を追い込んで行かないといい結果が出せない。

この二つの職業をきちんとこなすって、しんどいなぁ。

頑張ります……。
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随分さぼった [日記]

こんにちは。
ご無沙汰しています。
みなさん、お元気ですか?

と言っても、もうこのブログに遊びに来る人は少ないかもしれない。
なんと、今年の1月に投稿して以来、ずっとサボってしまい、
随分久しぶりに書く。

この9か月間何をしていたかと言えば、
2月はインド・ネパールに行き、
4月と5月はカンボジア出張だった。

執筆活動は難航し、7月に一度脱稿するも、
600枚から500枚前後にまで減らす作業があり、
内容も、編集者さんと相談しながら改定を重ねた。
9月に入ってやっとゴールが見えて来たが、まだまだ先が長そうだ。
12月4日出版を目標にしているので、何とか頑張りぬきたい。

Facebookの投稿が多くなったため、こっちのブログがおろそかになった。
ちょっと考えるところもあり、匿名ブログなども書いてみたりした。

でも、私の公式ブログをこのまま放っておいてはいけないよね。

あまり頻繁には更新しないかもしれないが、
週に一度くらいのペースで再開したい。

今後ともよろしくお願い致します。



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明けましておめでとうございます [日記]

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昨年は、本当に怒涛のような一年だった。昨年の正月はモンゴルで明け、8月末までアジアアフリカを行ったり来たり。その合間を縫って、4月に「利権聖域~ロロ・ジョングランの歌声」の文庫化。11月に「利権鉱脈 小説ODA」の単行本の出版を実現した。
小説のための取材旅行ロンドンとケニアに飛び、新境地を開いた。

さて、そして今年2013年は、東京の自宅で迎えた。

執筆中の小説は、400字詰め370枚まで辿り着いている。
本当は年末までに書き終える予定だった(爆)が、300枚くらい書いたところで行き詰まり、ずっと、うだうだ書けずにいた。時間はあるのだが、霧がかって先が見えてこないのだ。
だが、年が明けたら、ぱっと周りが明るくなり、物語が突然動き出した。
「うひゃー、この分だと600枚くらい書いちゃうかも」という、かなりやばい躁状態に……。
ずっと苦しんでいただけに、展開が見えたことについて「神様、感謝!」という感じです。
アフリカを舞台にした若き商社マンの奮闘記。
彼がこれからどう動くのか、楽しみでわくわくしてきた。

というわけで、今年はアフリカものを1冊書き上げます。
それが終わったら、スリランカ、あるいはネパールもの?
できれば日本を舞台にした異色の経済小説も手掛けたい……。
欲張りな年始の抱負ですね(苦笑)。
いったいいつコンサルの仕事すんだよ。小説じゃ稼げないじゃん。と突っ込みたくなります。
ま、何とかなるか。

今年もよろしくお願い致します。
(私って、シマリスに似てる?)
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新作「利権鉱脈~小説ODA~」発売です [執筆]


利権鉱脈    小説ODA

利権鉱脈 小説ODA



気がつけば、最後にブログを書いてから既に5ヶ月以上経っている。
近頃は仲間内のfacebookで短いコメントを書くくらいで、外向き発信を怠っていた。
仕事や執筆やプライベートであたふたと忙しく、腰を落ち着けて書く余裕がなかった。
物書きの端くれとして、ブログぐらいは継続して書けるような環境を作っておこうと思うのだが、書こう、と思っているうちに次の事件が起き、それを書こうと思っているうちに次の事件が起き、また、事件が起き、で、全てが新鮮さを失って書きそびれるのである。

それでも、何とか「利権鉱脈~小説ODA~」を上梓した。

8月末までエチオピアで業務。
帰国してからネパール残務が追いかけてきて、さらに小説ゲラの校正。
隙間を縫ってロンドンとケニア10日間の弾丸取材。
プライベートでもあれこれあって、一時は仕事&執筆そっちのけ。
何とか軌道修正して今に至るって感じである。

さて、出来上がった小説の帯には、高杉良先生の推薦文を戴いた。

リアリティがすごい!
本格派女性経済小説作家の
この訴求力に、脱帽するしかない

という絶賛文である。

さらに、

途上国への中国の影響力が増す中、
日本が取るべき海外援助のあり方を問う、
国際派経済小説の誕生

と、解説がつく。
ちょっと照れくさいが、編集者のアイデアに感謝である。

この小説は読み飛ばすタイプのストーリー小説ではなく、じっくりと一行一行噛み締めながら読み、行間から何かを感じ取って欲しいという思いで書いた。
城山先生の賞の名に恥じない、本格的な経済小説である。
だから、こうしたキャッチコピーが似合っている。

だが、友達に見せると、必ず「ぷっ(笑)」と反応する。
「みかが本格派女性経済小説家かぁ」とからかうのだ。
「だよねぇ、ガラじゃないよねぇ」と頭を掻くと、
「そこがいいところなんだけどね~」とフォローしてくれるのだが……。

内容には自信がある。
登場人物たちの生き方に、賛否両論あるとは思うけど、
悩み、行動する人たちの姿に、共感したり、反発したり、
考えるきっかけになって欲しいと思っている。
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スカイプ等使用禁止法@エチオピア [エチオピア]

「重要な注意喚起」という標題でメールが来た。
エチオピアJI○A事務所からである。

「本日、エチオピア政府がスカイプ等の使用を禁止する法律を施行したことを確認しました。
Skype、Google Talk等のVoice-Over-Internet Protocol(VoIP)全ての使用を禁止するとなっています。
理由の一つは「エチオテレコムの収益確保」ですが、あわせて「アラブの春」の再現を抑止することもあるようです。」

はぁ、何ともまぁ。
エチオピアでは政府行事の前に全く通信機能が麻痺することがあったが、それはFBなどでデモを呼びかける連絡手段を遮断するためだと噂されていた。VoIP登録制になり、政府による関連機器の監視も正当化されるとのことである。
「なお、同法では、VoIPの使用に対し、最長15年の懲役刑が科されることとなっています」
要するに情報統制による政治犯取り締まり強化ということだ。
在住の外国人は不自由を強いられ、投資意欲も半減するだろう。

1980年代の開発独裁について、私は完全否定はしていない。強い政府が決断を下すことによってインフラ整備が進んだことは確かだった。でも、インフラ整備が進み、教育アクセスが容易になり、経済成長が確保できた段階で、中産階級が育って情報開示や自由を求める声が高まるというのが一般的。このプロセスをきっちり見極めて支援しないと、長期独裁を許し、あるいは内戦を誘発してしまう。

エチオピアについては、判断が難しい。
多民族国家でいわゆる近代教育が普及していない彼らに自由と民主主義を説明しても「自分勝手」と理解して無法状態になる可能性はある。だが、だからといって、独裁政権を20年以上続けているのはどうかと思うし、それを支え続ける援助のあり方にも疑問がある。「もうこの国は放っておいたらどうか」というのが、実は多くの援助関係者の声だったりする。

エチオピア政府は国民の貧困を人質にとって援助を潤沢に手に入れている。そのことをわかっていながら、やせ細った可愛そうな子供たちに同情を寄せる人々は大量のお金と食糧を注ぎ込む。私は時々、こうした映像を見せられると嫌悪感を抱くことがある。その裏に隠れた様々な矛盾や問題を飛び越えて「感情」にだけ訴えてしまうことに違和感を覚える。「お金だけ出して安心してていいの?」とドナーに言いたくなる。もっとも、じゃあ何ができるかと言われれば、3年近くプロジェクトを実施してきて、無力ばかり感じる毎日であったし、「お金だけあげて自己満足のまま逃げるが勝ち」というのもわかる気がする。

さて、エチオピアのスカイプ等Voice-Over-Internet Protocol(VoIP)使用禁止法は、これからいったいどういう展開を見せるだろうか。政府への反論を圧殺していく情報統制を、どうやって維持していくのだろうか。

皮肉にも、私は今、政府が崩壊して未だに解決の糸口が見つからないネパールで仕事をしており、「究極の選択でどっちがいい?」と比較されると非常に困る。政府不在で精神的規範を失ったため犯罪も徐々に増えているネパールと、情報統制で強い政府を維持しようとするエチオピア。
個人的には、アナーキーでもいいから、ネパールに軍配だな。いくら政府が強く安定していても、私は発言の自由のない社会では生きていけない。
真っ先に牢屋行きだろう。
無政府社会なら、自分が自己責任で気を付ければなんとか泳いで行けそうだけど。
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「運が悪ければ死んでます」と怒られるの巻 [ネパール]

「途中でタイヤのボルトが折れちゃったんですよ~」
昼食のうどんを食べながら、私は総括に笑顔で地方出張の報告をした。が、総括の顔色が一瞬で変わる。
「えっ、車輪のボルト?」
「はい、第二工区の登り走行中に変な音がするってチェックしてみたら右前輪のボルトがポキッて折れたらしくて、よく見たら、既に1本折れてるし」
「おい、大丈夫なのか?」
「で、あれこれいじっているうちに、締めすぎたのか、3本目が折れちゃったんですよね。運転手ったら、以前この車は走行中にタイヤが外れて転がって行ったとか言うし、私、さーっと青くなっちゃいました」
私はへらへら笑いだったが、総括は目をぎょろっとさせ、声色を変えた。
「第三工区の未舗装道路だったら死んでるよ。谷底へ落ちて、今頃みんな大騒ぎだ」
「は……はい」と私は恐縮して肩を縮める。
写真は撮りましたか?」
「いえ、私も今は笑ってますけど、そのときは、動転して余裕がなかったものですから、写真まで気が回りませんでした」
「ちゃんと報告書を書いてJI○Aに提出ましょう。こんなレンタカーしかないなんて、命に関わる問題です。私は事故が起きるのが一番怖いんですよ。レンタカー会社の社長を呼んで安全対策について文句を言います」

6本のうち、片側3本がなくなるという状態で、急カーブの多い未舗装の崖を走行するのは、確かに自殺行為である。結論から言うと、シンズリ道路工事のキャンプに行って支援を頼み、ワークショップで応急措置をして5本まで回復させた。工事キャンプに泊まる予定になっていたので、日本人エンジニアに相談できたのが不幸中の幸いである。すぐに対応してくれた。
「この状態で第三工区を走ったら、残りの3本も折れるよ」
そう指摘された時、私は半分泣きべそをかいていた。私だって、このまま未舗装一車線の断崖絶壁を走るのは恐怖だったのだ。途中でタイヤが転がったら、谷底200メートル落下である。タイヤだけ落下してくれればいいが、車ごと落ちる可能性も否定できない。前輪のタイヤが落ちればハンドルが効かない。山でカーブを切るたびにタイヤに負荷が掛かるのに、未舗装のガタゴト道では安全の保障はない。

夕方、レンタカー会社の社長と運転手がやってきた。運転手はすぐに異変に気づいてくれたし、それだけでも本当に有り難いと思っているのだけど、総括は「大事故になったらどうするんだ!」と怒りの表情。上司としては、部下の死など絶対にあってはならない事態なのだし、怒るのもわかる。運転手さん、眉を下げてしゅんとしてる。でもね、私はいつも命を預けてるんだし、本当にすぐ気がついてくれて感謝してるよ。大事故にはならなかったのは貴方のおかげ。ホント、泣きたくなるくらい感謝してる。

往路(前日)の第二工区で、5年前に事故で亡くなった日本人エンジニアの慰霊碑に手を合わせたことを思い出した。もしかしたら、若くして亡くなったエンジニアの魂が、比較的危険の少ないところでボルトの問題を私に知らせてくれたのかもしれない……。

なんて……、総括に事の重大さを再認識させられて、ちょっとおセンチになっちゃいました。うるうる。

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写真;慰霊碑にお参りする運転手(このときの事故は足を滑らせての転落)
応急措置をしたタイヤ。まだ一本は折れたまま
折れた3本目のボルト
無事に帰還したISUZU車(2004年型)
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非常事態宣言……か? [ネパール]

憲法制定の最終期限まで2時間を切った。
このホテルは比較的議会に近いため、若干デモの奇声が聞こえてくる。
ちょっと覗きに行こうかなぁと思ったら、
ホテルの人に引き留められる。
「ダメです、始まってるみたいです」
と、物を投げるアクションをする。
「大丈夫よ、ネパール人は暴力的ではないから」
「いえ、curfew(外出禁止令)が出ると言われています」
ラジオテレビで言った?」
「いえ、友人からの連絡で……」
「噂じゃないの?」

私はホテルの人に、「ちょっとだけ見に行く」と行って門まで行った。
門番は既に鍵を掛け、結局門の隙間から外を見るのみだったが、
辺りは暗く、店はどこも閉店している。
数時間前に外に出たときよりも人の数は減っており、たむろしていた武装警官隊の姿も見えなくなっていた。

もし、出張でなかったら出掛けてしまうのだろうけど、チラリと団長の顔が脳裏に浮かぶ。
何かあったら迷惑を掛けてしまうし、ここは我慢するしかない。

仕方なくホテルに戻り、友人でジャーナリストの小倉清子さんのツイッターをフォローする。彼女はネパール語が堪能なので、タイムリーに日本語訳して情報を流してくれるのだ。
緊急事態宣言を発令して期限延長にするか、議会解散にするかの瀬戸際のようだ。
間もなく首相のスピーチがあるというのでテレビをつけたが……。
議会でみんな楽しそうに夕食を食べている映像。

本当にがっくりするんですよねぇ。
デモって言っても、全然真剣さが伝わってこなくて、
へらへらニコニコしていて、政府を倒そうという気合いもないし、
ただ「言いたいことを言うぞー」って感じである。
もちろん、感情が激すると何をしでかすかわからない危険はあるんだろうけど、
それぞれの要求はあるが、その先の展望はない、というのが各組織の感覚なのかもしれない。

停電になったためスタッフを呼んだら、
「もう解散総選挙ですよ」と諦めムードだった。
更に、
「ネパールでは解決出来ないから、インドでもアメリカでもいいから外国に介入して欲しい」
とまで言う。
なんとまぁ。
このダラダラした状況にみんな疲れちゃった感じだ。

BBCを回してもネパールのニュースはやっていない。
もう世界に見放されたのかと思いたくなる。
憲法制定期限も既に五回目だから、もうオオカミ少年状態なのだろう。
とりあえず、12時までは状況を見ます。
はー。
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憲法制定ゼネスト6日目突入@ネパール [ネパール]

16日深夜に慌ててカトマンズに戻ったのはいいが、それ以来、身動きが取れなくなっている。街の道路が封鎖されているため道路局事務所に行けず、ホテル内事務所で作業を進める。ゆっくりゆっくり……。でも、そろそろやることがなくなってきた。アイドリング状態で、一日無駄に過ごしているようで気ばかり焦る。本来なら、事前踏査を済ませた後、調査員を集めてオリエンテーションを開き、それから現場に入って2週間にわたりアンケート収集やワークショップをする予定だった。
でも、移動困難なため関係者動員ができず、現場にも入れない。事務所の中で足踏みしている感じだ。アイドリング期間が長くなってくると、もう気持ちまで弛緩して来る。5時半までダラダラ仕事するふりして、部屋に戻って真剣に小説執筆って感じだ。これでいいのだろうか……。

業務計画を立てた時は、ここまで酷いバンダになるとは思っていなかった。2008年当時よりもバンダはかなり減ったと聞いていたし、他国業務との絡みと、雨季前に現地調査をしたいという思惑でこの時期の出張を決めたのだ。二ヶ月の出張で1週間身動きが取れないというのは致命的だ。遅れを取り戻すのは困難だし、このままだと、アサイン終了後に、日本で残務をこなさなくてはならない。期間内の報酬しかもらっていないのに、成果品が出なければ、延長分はただ働きということだ。

などと、己の都合ばかり考えている自分が情けない。
ネパール人は、憲法という国の根幹を成すルールを制定するのに大変な産みの苦しみを負っている。政治だけの問題ではない。長引くバンダ(ゼネスト)は庶民生活にも打撃を与えている。病院は薬品の補給もできないし、医者も通勤できない。入院患者は治っても帰宅できない。日雇い労働者も日銭が稼げないので生活が困窮しているようだ。それなのに私は、自分の業務が進まないことに苛立っている。というか、もうイライラは通り越して、溜息と諦め笑い。

現地スタッフが、
「松村さんのパスポートはまだ取りに行けない」
と眉を寄せて報告に来た。マルチビザへの切り替えのため、入国管理事務所に書類とパスポートを提出したままなのである。
「歩いて行きましょうか?」
「いえ、急がなくていいですよ。イミグレーションに行くのに国会の前を通るのも危ないし」
「でも、何かあったら松村さんだけ出国できません」
「は?」
私は、一瞬固まった。そうだ、パスポートがないと出国できない。
「もし緊急避難命令が出ても、松村さんは飛行機に乗れません」
がーん。
調査団の仲間に「皆さんはパスポートは?」と聞くと、現在パスポートが手元にないのは私だけらしい。ということは、私だけ置いていかれるってこと?
「いや、日本大使館に逃げ込めば大丈夫ですよ」
「でも、パスポートがないと日本人だって証明できないかなぁ」
日本語ぺらぺらですっ!」

もちろん、緊急避難なんてことにはならないと思う。
まさかぁ……(苦笑)と思う。
コソボ紛争や、イエメンから同僚が引き揚げたことがあったが、私はそんなことに巻き込まれることはない……と笑っていたら、ハッと思い出した。そうだ、2006年にパレスチナで仕事をしていたとき、任地のジェリコが空爆に遭って緊急避難したことがあった。あの時は業務中でジェリコから離れていたため、パレスチナの行政首都ラマラに行き、その後JICAの防弾車が迎えに来てテルアビブに移動した。まったく着の身着のままの脱出だった。空爆は12時間続き、調査団は一次避難を余儀なくされ、それでも1週間後にはジェリコに戻ったのだった。

たぶん、ネパールでは空爆はない。
仮に暴動が一部であっても、インドネシアのスハルト政権崩壊時のようにはならないはずだ。
ネパールで仕事をしていて一番怖いのは、やっぱりシンズリ未舗装一車線道路の運転かな。
治安についてはあまり心配してないです。ははは。
仕事したいよ~。
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